会社概要
名称 | 有限会社 ホシノ天然酵母パン種 |
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本社・町田工場 | 〒195-0064 東京都町田市小野路町2331番地 Map Tel : 042-734-1399 / Fax : 042-734-9342 / E-mail : mail@hoshino-koubo.co.jp |
研究所 | 〒195-0064 東京都町田市小野路町2278-3 Map Tel : 042-734-1399 / Fax : 042-734-9342 |
秦野工場・研究施設 | 〒257-0017 神奈川県秦野市立野台2-5-12 Map Tel : 0463-51-6420 / Fax : 0463-51-6430 |
代表者 | 取締役社長 星野 修 |
資本金 | 95,000,000円 |
決算期 | 年1回 3月 |
事業内容 | ホシノ天然酵母パン種の製造・販売 |
取引金融機関 | 三菱東京UFJ銀行 / みずほ銀行 / ゆうちょ銀行 |
沿革
昭和26年4月 | 創業者 星野 昌、東京都世田谷区尾山台にホシノ天然酵母パン種研究所を設立。 |
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昭和57年7月 | 東京都町田市小野路町2278-3に移転 |
平成2年1月 | 有限会社ホシノ天然酵母パン種を設立 |
平成5年11月 | 星野益男 代表取締役就任 |
平成6年10月 | 象印マホービンと天然酵母パン種自動発酵器を開発 発売 |
平成7年1月 | ホシノ天然酵母フランスパン種 発売 |
平成8年1月 | 菓子パン種、ぶどう酵母パン種 発売 |
平成10年3月 | 秦野工場を設立 生産開始 |
平成11年1月 | 松下電器産業がホシノ天然酵母パン種対応のホームベーカリー発売 |
平成13年6月 | ホシノ丹沢酵母パン種 発売 |
平成14年10月 | 象印マホービン・三洋電機がホシノ天然酵母パン種対応のホームベーカリー発売 上記3社で日本のホームベーカリーの80%以上がホシノ天然酵母パン種を採用 |
平成17年1月 | ホシノ・ルバン種を開発 発売 |
平成18年4月 | 星野益男 代表取締役 退任 レオン自動機に経営権を譲渡 |
平成18年5月 | レオン自動機より川又研三が代表取締役就任 |
平成19年3月 | 町田第2工場操業開始 |
平成19年4月 | 星野益男 会長就任 |
平成26年8月 | 川又研三 代表取締役 退任 |
平成26年9月 | レオン自動機より小林幹央が代表取締役就任 |
平成28年6月 | 小林幹央代表取締役 退任 |
平成28年7月 | 取締役技術部長 土田耕正が取締役社長に就任 |
平成29年1月 | 秦野市立野台に秦野工場が移転。操業開始。 |
令和元年7月 | ホシノ薔薇酵母パン種 発売 |
令和3年9月 | 土田耕正取締役社長 退任 |
令和3年10月 | 統括部長 星野修が取締役社長に就任 |
ホシノ天然酵母パン種の歩み
日本の天然酵母パンの歴史は、星野昌にその原点があるとしても、過言ではない。 有限会社ホシノ天然酵母パン種の創設者、星野昌は、昭和26年、日本で最初に『天然酵母パン種』を作ると同時に、名称も考え出した。 昌は、第二次世界大戦中に酒・醤油の醸造会社を経営していたが、原料の米不足で清算。終戦後、大量の小麦粉が援助物質として、アメリカより送られ、小麦粉はいち早く、自由化された。米軍が持ち込んだ“イーストによる製パン法”が普及し、パン屋さんは作れば売れる時代がやってきた。しかし、パン屋さん達の中には「戦前の酒種菓子パンの方が、おいしかった。なんとか、あの味のパンを作りたいが、酒種を作れる人はいないだろうか。」と、探している人もいた。星野昌にその依頼が再三くるようになり、野生酵母を使ってのパン種(醗酵種)を造り売り出した。商品は好評だったのだが、短時間で配送出来る客先にしか販売出来ないという流通面での問題もあった。 昌は、全国に送付可能なパン種作りの研究を東京都世田谷区尾山台でスタート。『ホシノ天然酵母パン種研究所』の始まりだ。 酒種は、菓子パンはおいしく出来ても、食事パンには向かなかったし、液体状を乾燥粉末にしなければならなかった。この二つの問題を解決する為の試行錯誤を重ねた結果、昭和40年代に入り、食事パンに適し、しかも安定した『ホシノ天然酵母パン種』を造ることが出来た。研究所も、尾山台から町田市に移転した。 朝日新聞が注目し、以下の様に記事として掲載された。
昭和49年(1974年)10月21日朝日新聞掲載
昭和50年(1975年)12月28日朝日新聞掲載
昭和52年(1977年)9月22日朝日新聞掲載
平成15年(2003年)1月7日読売新聞掲載